2022/11/18 08:42


延暦24年(805)、弘法大師が32歳の時、唐(中国)の都・長安の青龍寺において、真言密教の第七祖である恵果阿闍梨けいかあじゃりと初対面しました。

会ってすぐに灌頂壇に入ることを勧められ、金剛界こんごうかい胎蔵界たいぞうかいの灌頂の儀式に入壇し、投華とうけされました。
そのはなは不思議なことに、いずれも曼荼羅まんだらの中尊である大日如来の上に落ち、仏縁を結ぶこととなりました。

そして弘法大師が帰国後の弘仁3年(812)、京都の高雄山寺において11月に金剛界結縁灌頂、続いて12月に胎蔵界結縁灌頂を初めて厳修されました。

さらに平安時代の応徳元年(1084)、堀河天皇の御代、高野山において結縁灌頂が始まったと伝わります。

大宇宙そのものを表し、すべてのものは大日如来の化身と考えられています。

胎蔵界たいぞうかい大日如来と金剛界こんごうかい大日如来の二種類が存在し、この胎蔵界・金剛界の大日如来の世界を表した二つの経典が真言密教の最も重要な核となっています。

金剛界は『金剛頂経』と言い、密教の教えを『絵』として表現したものが、曼荼羅まんだらです。